カテゴリ:人生の教え( 28 )

伊達直人ふたたび Ⅱ

女性自身2016-12-15記事より抜粋

「子どもたちは虐待されるためではなく、抱きしめられるために生まれてきたんです。涙を流すためではなく、周りを笑顔にするために生まれてきた。これからも支援活動を続けていきます。すべての子どもたちへ、生まれてきてくれて、ありがとう!」

そうスピーチした河村正剛さん(43)はリング上で、’10年のクリスマスに群馬県の児童相談所に、10個のランドセルを“伊達直人”の名前でプレゼントしたのが自分であることを、初めて公表した。

当時、この“伊達直人”による寄付が報道されるや、児童養護施設などに“伊達直人”を名乗って善意の贈り物をする動きが全国に広まり、「タイガーマスク運動」と呼ばれる社会現象にもなった。

劇画『タイガーマスク』の主人公・伊達直人は、児童養護施設で育った生い立ちから、ファイトマネーを稼ぐたびにタイガーであることを隠して本名で施設に寄付しつづけた。

劇画中に登場する“虎の仮面”をつけて現実のリングで活躍してきた初代タイガーマスクの佐山聡さんは、'11年に「初代タイガーマスク基金」を設立し、理事長に就任。今回、河村さんが公表に踏み切った理由を、こう話す。

「ここ最近、『タイガーマスク運動』も徐々に下火になり、縮小してきてしまった。今回、その火を絶やしてはいけないということで、河村さんが『子供たちのためなら顔も名前も公表してもいい』と英断してくれたのです」(佐山さん)

現在は群馬県在住で、ふだんは会社員として暮らす河村さん本人が、本誌の緊急インタビューに答えてくれた――。

「母はがんで、長いこと病院で生活していて、私が3歳のときに亡くなりました。だから、中学生のときに、生前の母の写真を見せられても、『この人が僕のお母さんなんだ、ふ~ん』と思うくらいで、ピンときませんでした」

母親の記憶がないという、つらい経験を静かに語る河村さん。母の死後、母親の親戚の家に引き取られたため、父親の記憶もない。というのも、母親が父親と別居していた期間に別の男性との間にできたのが河村さんだったからだ。

引き取られた母の親戚の家では、十分な愛情を注がれていたとは言いづらい。なんと小学校に入学するときに、ふつうならワクワクして子どもが背負うはずのランドセルすら、買ってもらえなかったのだという。

「母の親戚には『ランドセルなんて、欲しかったら自分で買え』と言われたんです。だから、布製の手提げの買い物袋で通った。『なんで僕にはランドセルがないの?』と思いながら、同級生に『(君は)自分で買ったの?』なんて聞いた記憶があります」

その親戚宅で肩身の狭い思いをしつつも5年間過ごし、その後、父親の実家筋に引き取られたのだが、今度は食事も満足に与えられなかった。育ち盛りの中学生時代に、栄養失調になったことも。そんな厳しい環境のなかで、公立高校に合格した河村さん。幸い学費は免除となったが、生活費は足りない。だから土木作業員のアルバイトをした。

卒業後に上京したいと考えていた河村さんは、東京近郊で就職口が見つかり、社会人生活をスタート。そして――。

「いまから19年前。24歳で初めて子どもたちに寄付しました。ランドセル、施設への1万円の寄付、そしてクリスマスプレゼントなどです」

過去の報道などでは、河村さんがランドセルを寄付したのは'10年のクリスマスが最初で、そこから'11年1月の「タイガーマスク運動」の流れができたと思われていた。しかし実際には、その10年以上も前から、河村さんは人知れず、“伊達直人”として善意の活動をしていたのだ。

「11歳のとき、父の親戚宅でこう言われました。『なんでお前なんか生まれてきたんだ、謝れ!』と。私は『生まれてきてゴメンなさい』と言うしかなかった。本当に、心に穴が開きました……。そのとき決意したんです。『大人になったら、子どもたちに寄付できる人間になろう。この先も僕のような境遇の子は出るかもしれない。その子たちの力になろう!』と」

その信念で河村さんは今日まで、ランドセルだけでも50個近くを寄付してきている。初代タイガーマスク基金には、'12年に会議に参加し始め、'14年には理事に就任。最後に河村さんは“心からの願い”をこう訴えた――。

「ご自分の子どもを抱きしめてください。家族を大切にしてください。もしゆとりがあれば、その友達も大事にしてほしい。それで十分『タイガーマスク運動』なんです。普通の人が、タイガーマスクになれるんです」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

苦労した分だけ人に優しさと思いやり一杯。
ーー河村正剛さんが不遇の環境に屈せず、立派な社会人になったこと、
同じ境遇の子供達に幸せになって欲しいと願う「魂」や「熱い想い」に胸が熱くなりました。
不遇の子供達のみならず河村正剛さんご自身も、もっともっと幸せになって欲しいです。

多少のいさかいがあっても、
夫婦、親子が一つの屋根の下に暮らし、
三度のご飯がきちんと食べれる。
学校に行ってみんなと一緒に楽しく勉強が出来る。
お父さんが家族のために一生懸命働いてくれている、お母さんの手料理が食べれる。
私達の今まで育って来た当たり前のような境遇が、実はどんなに尊く幸せなことだったなのか。
いつも感謝の気持ちを忘れないようにしなくちゃ。

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by hinomarufighter | 2017-02-27 06:35 | 人生の教え | Trackback | Comments(0)

糸井重里「毎日がもっと、ずっと楽しくなる」手帳術

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プレジデントオンライン11-21より抜粋

■「明日、一番力を入れること」を書く

実は今、自分なりのほぼ日手帳の使い方を模索中です。
ある社員の使い方を見て、真似をしてみたのがきっかけでした。
僕は、ほぼ日手帳ユーザーとしてはいい加減なほうで、使ったり、使わなかったりと波があるんですが、これはちょっとはまりましたね。
どんな使い方かというと、まずその日の反省点を書くんです。
「今日はしゃべりすぎた。あんなにしゃべる必要はなかった」とかね。
その次に、その日うれしかったことやよかったことを書く。
さらに明日、一番力を入れてやろうと思うことを書くんです。
これをやってみて、自分がまったく反省というものをしない人間だとわかりました(笑)。
反省を書こうとすると、そこでもう筆が止まるんですが、何とか探そうとすることが僕にとってはちょっといい作業だったんです。
逆に、1日のうちでよかったこと、うれしかったことは、山ほど拾えますが、あえてひとつだけ選んで、そのうれしさをかみしめてみる。
すると、何か1日の気持ちの動きみたいなものも見えてきます。
明日、一番力を入れてやろうと思うことは、予定事項の優先順位に関係なく「これ、いいな」と思ったことを選ぶようにします。
たとえば明日、取材を受けるとしますね。
仕事の優先順位としては一番じゃないけれど、テーマが面白そうだから、とびっきりいい内容の取材にしてやろう、とか。
寝る前に「明日は4つも5つもやらなければならないな」と思うと、朝起きたときには「ああ、もう今日になっちゃった」と気分が沈みがちですよね。
しかし、前日に1つだけを意識しようと決めれば「手帳に何を書き残せるだろう」と、ワクワクした気持ちで朝を迎えられるんです。
その日の行動全部のモチベーションが、つられて引き上げられる感じがします。

■自分と向き合う余白が物語を生む

やっぱり、人間に余白は大切です。
多忙な人に休養が必要なように、予定にやたら盲従せずに、立ち止まって自分を見つめる時間を1日のどこかで持ってほしい。
それと、自分の考えや感じたことを文章化すると、それまでもやもやと逡巡していた自分の思考がはっきりしてくることがあるでしょう。

手書きのよさというのもあります。
ペンを持って書いたものは、手指を動かして残った体の運動の軌跡です。
墨書に書家の心が表れるように、手書きの記述にその人の人柄や物語が浮き出してくるんだと思います。

なーるほど(๑・̑◡・̑๑)
•その日の反省
•その日一番嬉しかったことを噛みしめる
•明日一番力を入れてやろう、自分の楽しみとしてやり甲斐にすることを決める
この三つですね。

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by hinomarufighter | 2017-02-11 06:56 | 人生の教え | Trackback | Comments(0)

最近読んだ本 自由部門

第一回プラチナブロガーコンテスト

最近読んだ本二冊を紹介します。

•藤沢久美
「最高のリーダーは何もしない」 ダイヤモンド社
•松下幸之助
「商売心得帖」 PHP研究所

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前者は刺激的な題名ながら、
「リーダーは経営方針を社員の心に染み入るまで説き、彼らの自主性に任す」
「経営方針を導くためにリーダーは社員の誰よりもアンテナを張り巡らせ、事業について常に考え抜く」
といった論点で沢山の事例を持ち出して解り易く説明していました。
最新の経営事例についての興味深い話が沢山詰め込まれていました。
塚田農場の実践例が印象に残っています。

後者は前職場の創業者の著書。
今も僕が時々相談する師匠で、
僕が松下電器入社を目指すのに多大な影響を与えた叔父から直接受け継いだ本。
新聞で伊勢丹三越の新社長が紹介されてた指南書二冊のうちの一冊でもあります。
松下幸之助創業者は社会人は商いはかくあるべき、と多くの金言を授けていただいた偉大なる師。
幸せなことに、入社当時から数十年間は社内には幸之助イズムが浸透してたので、貴重で有意義な社会人生活を送らせていただきました。

今、退職して違う会社に入社し、
経営的視点から再読すると、どれも素直に琴線に響きます。
これほど時代が変遷しても、普遍の考え方として今尚多くの人に感動を与え続ける経営センスはまさしく「経営の神様」ですね。
志が折れそうになったら、何度も取り出して元気を貰おうと思います。

今の会社には優れたビジネスモデルがあります。
仕事の感動も多く得られます。
来月で私も試用期間最後の3ヶ月目。
来月中に仕事の内容を一通り把握することに努め、
一方で新たな集客スタイルを試して行くつもりです。

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by hinomarufighter | 2017-01-29 06:36 | 人生の教え | Trackback | Comments(0)

明星紳士 第2章 自由部門

第一回プラチナブロガーコンテスト

以下の「紳士」と「明星紳士」に関するお話は、母校 大阪明星学園HPの「学校長からのメッセージ」の中から一部抜粋したものです。

「紳士」はイギリスの社会で特別の地位を占めていました。
“gentleman”(紳士)は性行が正しくて礼儀に厚く、学徳、気品を備えた人を言います(小学館国語辞典)。
「明星紳士」はどのように解説されてきたかというと、
「人の先頭に立って仕事をする人、明朗で礼儀正しく知性に溢れ、周囲から信頼を受け、逆境にくじけない。社会の核となって奉仕する人」でした。
そして長い間、学園の中ではこのイメージで通してきたわけです。


社会に出ると会社には経営理念がありましたから、これは事あるごとに身に叩き込まれてきました。
社会人としてレベルの高い教育を学べたと感謝しています。
もう一つ、目指す社会人の志というのが、私の場合上述した母校の明星紳士の定義そなものでした。
しかしながら、真っ正直に、
お客様第一や会社経営のために、
自ら先頭に立って、逆境にくじけることなく頑張り過ぎが続いて、
気が付けば結果として重いうつ病を患い、40を前にして心の健康を害してしまいました。
エンジニアとしての実績も積んで、登り基調に乗ってた時でしたので、ままならなくなった自分に当時手痛い挫折感を味わったものです。
それでも以降、葛藤を続けながらなんとか会社生活を全うしました。
家族、上司、同僚、友人、多くの方のサポートに恵まれたお蔭です。
振り返れば、辛い状況ながらも幸運だったんだと思います。
精一杯頑張ったあげくうつ病になったことに、後悔したりしていません。

前のブログにもありましたが、うつ病に限界を感じ、前職場を35年間勤め上げた後、早期退職。
八ヶ月の充電後、カウンセラーの仕事に就きました。
四月からは母校の大学の非常勤講師の仕事も始まります。奇遇にもどちらも若い人と関わる仕事です。
前向きに頑張れるのか、はたまた幻滅するのか解はまだ見えていませんが、
人生のセカンドステージが動き出しました。

様々な経験を積み、うつ病から解放された今、
少しリラックスしながら、再び「明星紳士」を目指してみようと考えています。
ハードルを低くして、肩の力も少し抜いてね (笑)

「人の先頭に立って仕事をする人、明朗で礼儀正しく知性に溢れ、周囲から信頼を受け、逆境にくじけない。社会の核となって奉仕する人」

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by hinomarufighter | 2017-01-24 06:16 | 人生の教え | Trackback | Comments(0)

島木譲二の男の美学 自由部門

第一回プラチナブロガーコンテスト

「大阪名物パチパチパンチ」でお馴染み、吉本新喜劇の島木譲二師匠が先月16日にお亡くなりになりました。
葬儀参列者は「怒るところを見たことがない」「人の悪口を言わない」と口をそろえ、その人柄の良さを称賛してらしたそうです。
上方芸人のコメントを下記紹介します。

池乃めだか師匠
元気、男、強い、弱音を吐かない、があいつの美学やった」
「飲んでも乱れなかった。かっこよく、強く。弱いところを見せない。楽屋でご飯を食べているところも見せたことがなかった」
「僕らはあんなにできへん。すべったら嫌、とかなしに、精いっぱいやっていた」

辻本茂雄座長
「若手には『今日はお客さんが重いな』と尻ごむ子が多いんですが、どんなお客さんでも盛り上げようとしたのが島木さんでした。そのパワーと信念を引き継いでいきたいです」

藤井隆
「一番最初、劇場に立たせていただいた時に島木さんに声を掛けていただいて…ビアホールに連れて行っていただいた」
「人に対して、スタッフ、お客さんに対して平等に接していらっしゃる姿を見て(自分自身)どこまで勉強できたか分かりませんけども教えていただいた気がします」
 新人の藤井が一番最後まで後片付けするのを、ゆっくりタバコを吸いながら待ってくれたそうで「舞台でもそうなんですけど、ささいなことでもいつも平等にしてくださいました」

小藪千豊
新喜劇加入当初から目をかけてもらったという
「本当にお世話になった方。同じ時期に新喜劇に出られて本当によかった」
「お客さんをめちゃくちゃ笑わせて、舞台をはけていく。その背中がめちゃくちゃ格好良かった」
漫才コンビ「ビリジアン」を解散して新喜劇に加入。漫才とは勝手が異なる喜劇のコツがつかめずに落胆していたところ「気にするな」と声をかけてくれるのが島木さんだったという。
新喜劇の脚本を担当したが、その千秋楽を終えた直後、舞台上で肩を組んでねぎらってくれたのも島木さん。「要所要所で、優しい言葉をかけてくれました」と振り返った。

間寛平師匠
「酔ったら裸になってパチパチパンチをしてた」
「東京からの帰り、電車の窓が見えなくなるほど空の缶ビールが積み上がった」
「病院でも看護師さんを前にパチパチパンチして…。だいたい島やん(島木)は何言うても断らんかった。パチパチパンチの時に一斗缶渡したら、それで頭ボコボコにしたんや」と“カンカンヘッド”誕生の仰天秘話を明かした。
未知やすえが「そんなんで一回、水晶玉を渡されて。それを頭で受けたら血が…」と、有名な島木さんの「流血伝説」を解説した。
トミーズ健が「アンタら怒られるで」と制止しようとしたが、寛平は「いや、これが島やんらしい。あと、彼は絶対人の悪口は言わんかった」と、長年新喜劇を共に支えた戦友をしのんだ。

宮根誠二アナ
島木さんに声をかけてもらって一度、お酒を飲みに行ったという。
「声をかけてもらって。僕らに対しても敬語なんです。僕らみたいなもんにも丁寧に接してくださる」

トミーズ雅
「島木さんは店入ってビール頼む時、必ず“生3”って言うねん。普通“生(ビール)1つ”でしょ? それをどうせ“飲むから”と」

桂文珍師匠
「怖い顔だが優しい。人間が男前の人でした。飲みに行っても、まわりに気を遣って笑いを取ったり。ハートが男前でした」


酒をこよなく愛し、
決して怒らない懐の深さ、
人の悪口を言わない裏表のなさ、
弱音を吐かない強さ、
相手が誰であろうと平等に丁寧に接する謙虚さ公正さ、
弱者を慈しむ温かさと思いやり、
お客を爆笑させる喜劇役者としての執念とひたむきさ、
周りを気遣い愛想を振りまく奉仕の精神。

島木師匠はどこまで男前な人やったんやろう🌟🌟🌟

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きっとご苦労を沢山されたんでしょう。
一方でご家族の深い愛情に恵まれた方でしょう。
なので自然と男前を「涵養」されたのでは?

上方芸人にこんなイカす方がおられたんですよっ!
そして、僕も島木師匠の男前を一つでもいいから自分のものにしたいと思いました。

新喜劇の舞台で師匠が上半身裸になられ、パチパチパンチを演じられてる時、客席が一体となって地鳴りのように大爆笑の渦に包まれたあの光景はいつまでも忘れないでしょう。

合掌

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by hinomarufighter | 2017-01-22 06:23 | 人生の教え | Trackback | Comments(0)

世界王者の母親 自由部門

第一回プラチナブロガーコンテスト

戦前の絶対不利の予想を覆し、
35歳だった長谷川穂積選手が激しい打撃戦を制して5年ぶりに王座奪還を果たしました。
彼らしい強い王者の勝ち方は全盛期の再来です。

以下はデイリースポーツ・船曳陽子記者の一部抜粋記事より

ボクシングのWBC世界スーパーバンタム級王者・長谷川穂積(36)=真正=が今月9日(先月)に引退を表明した。

奥様泰子さんの他に長谷川を見守り続けたもう一人の女性がいる。
2010年にガンで亡くなった母の裕美子さんだ。55歳の若さだった。
入退院を繰り返しながらも、最後まで試合会場に足を運んでいた。

いつも明るくコロコロと笑っている人で、記者も闘病中であることをつい忘れてしまうほどだった。
もともとふっくらとした“お母ちゃん”。試合会場で声をかけると「ガンだ、病気だと知られているのに全然やせないから恥ずかしいわ」と言って笑わせた。

10年4月のモンティエル戦では、10度防衛した息子のKO負けを目の当たりにしても「まだまだこれからですよ。大丈夫!」と報道陣を励ました。
これがリングサイドでの最後の試合となった。

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その試合前に聞いた裕美子さんの悩みは、今も忘れられない。
「もういいと何度も言ってるんだけど、穂積は聞かないの。私は十分にしてもらった。あとは自分たちのために使いなさいと言っているんだけどね」

当時、長谷川は母に1回数百万円という先端医療の治療費を出していた。
高額な治療は必要ないと言っても、本人が聞かないと言うのだ。
自身の生死に関わる話を、まるで井戸端会議のように話す裕美子さんの強さにこちらは言葉を失った。
息子を思う気持ちに胸が熱くなった。

引退が決まった後、長谷川の父大二郎さんから聞いた。
裕美子さんは死が近づくにつれ「死にたくない」「まだ生きたい」とよく泣いたそうだ。
その無念は自身の人生へというよりむしろ、無冠になってしまった息子を支えなければという母心ではなかったか。
裕美子さんは、息子が打たれず、きれいな顔で終わる試合が好きだった。
引退会見で長谷川は「無事で健康で変わらずいろんなことに挑戦できる。
このまま引退できたのを喜んでくれている」と天国の母の思いを代弁した。
王者としての引退は、息子から母への最高のプレゼントだった。

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失意の底にある息子のために、少しでも長生きしてやりたいという親心。
我が身を切って収入を得て、母親のために誠心誠意尽くす息子。
長谷川親子の絆、熱いです。

師匠が仰ってました。
『「人」という字は「/」「\」の二つが互いに支え合う形になっているのよ。』
親子はまさにこの関係。

今の幸せがあるのは、両親がこの世に生を授けてくれたおかげに尽きます。
一生懸命真心込めて育てて貰ったから、今の自分の血と肉があるのです。
本来親への恩返しはいくらしてもし尽くし足りない筈。
それなのに親は子供達に決して見返りなど求めない。

せめて一日に一度は両親に想いを馳せ、感謝の気持ちを捧げたいものです。

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by hinomarufighter | 2017-01-06 06:45 | 人生の教え | Trackback | Comments(0)

四つの勇気 自由部門

第一回プラチナブロガーコンテスト

しみずたいきさんのFBより


あなたが人生を生きていくためには、
4つの勇気が必要です。 

まず第1が『一歩踏み出す』勇気。 
悲惨な現実にいたたまれず、
迷わず踏み出してしまいました💦
第2が『嫌われる』勇気。
彼女の心情も悟らず、
おせっかい発言で嫌われました。
でも思いやりは伝えたつもりです。
第3が『今までのやり方を捨てる』勇気
自分らしくないやり方を捨てて、
自分らしく生きる道に出会いました。
そして一番 大事なのは
『最高の自分を生きる』勇気
最高の自分になれるような希望が湧いています。

伝えたい想いが 
伝えられますように
  
言え(癒)なかったことが 
言え(癒)ますように
   
できなったことが
できますように
   
諦めた夢が いつか
別な形で 叶いますように
   
受けた心の傷口から 
優しい花が咲きますように
   
今の辛いことが
いつかの幸せに繋がりますように
   
離れることがあっても
またどこかで巡り合いますように
   
これまでの苦しみが
これからの喜びに変わりますように
   
踏み出した一歩が
明日へとつながりますように
   
いつも 心の花が咲きますように
   
そんな あなたでありますように…
   
そんな 自分でありますように…
   
そうありますように…

しみずさんの仰ってることはどこか戯言のように聞こえますが、僕は誰だって望みが叶うと思います。
昨年までどん底の淵にあっても夢がよりどころになりました。

状況が急転して当初の思惑から外れたものの、
新たな仕事に就き、夢が叶いそうな予感がしています。

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by hinomarufighter | 2016-12-30 06:17 | 人生の教え | Trackback | Comments(0)

今に感謝する 自由部門

第一回プラチナブロガーコンテスト

しみずたいきさんのFBより

近すぎて見えないもの

毎日見ているから見落としてしまうものがある

何事も 慣れてくると
特別なことが当たり前のことになってしまう。

長い付き合いになってくると
大事な人なのに大事にしなくなってしまう。

でも 近すぎて見えなかったものが
遠く離れることで形が見えてくることがあって

そんな時
人との出会いや、
体験する出来事など、

自分の毎日が 実は
「有り難い奇跡の連続」であることに気づく。

このことを 禅では こう表現した
『足るを知る』

つまり、
朝起きたら、有り難い
今日も目が見える。有り難い
今日も耳が聞こえる。有り難い
今日も歩ける。有り難い
今日も息ができる。有り難い
今日も仕事ができる。有り難い
今日も携帯落とさなかった。有り難い
今日も病気じゃなかった。有り難い 

足るを知る。
つまり、
今 この瞬間が、いかに
「有ることが難しいか(=有り難いか)」
「恵まれているか」

そこに気づけるかどうかが、禅の真髄。

だから
自分の周りにあるものを
もう一度、よく見つめ直してみる。

当たり前だと思っているもの。
一緒にいてくれる人。
そこにあることを忘れてしまっているもの。
そういうものをよく見ると、そこにあることが、
当たり前でないことに気づく。

刺激的なこと、
特別なことが起きる事が幸せなのではなく
普通の何気ない日常こそが
実はとてつもなく 有り難い奇跡の連続であって
とてつもないことなのかもしれない。

幸せは 探すものでなく
今に感謝することから始まる。

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当たり前に暮らせてることに常々感謝する感性を大切にしたいです。
常に謙虚であること、感謝の気持ちを忘れないこと。
ですね。

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by hinomarufighter | 2016-12-27 06:08 | 人生の教え | Trackback | Comments(0)

なかにし礼 語録

「君は戦場に行ってはならない」
「弱くあることも勇気のいることなんだぜ」

「自由と戯れ※が大事」
「きまじめさ、みたいなものが世の中を支配すると、四角四面な社会になる」

「不良で、軟派で、前衛※であること」 を今も意識している

※戯れの意味
遊びに興じること  
ふざけること 冗談 本気ではなくて遊び半分なこと
男女がいちゃつくこと

※前衛の意味
既成の概念や形式にとらわれず、時代の最先端を行く革新的な芸術活動


「戯れ」を(本気ではなく遊び半分、男女がいちゃつく)、
「前衛」を(既成の概念や形式にとらわれず)、
とそれぞれ解釈するなら、
「自由」「軟派」と併せて四つの単語は、今の仕事上標榜できないけど…(笑) 、
とても共鳴出来ますねー。
そして、「弱くあること」ーーそれも自分の人間味としてありのまま受け入れるようにしています。

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by hinomarufighter | 2016-12-11 06:28 | 人生の教え | Trackback | Comments(0)

芸歴40周年の村上ショージさん語録

ギャグがウケない「スベリ芸」の第一人者、村上ショージさん。
「スベリ芸」ってそもそも芸なんかなぁ? (笑)
でも、僕の好きな芸風です。(๑・̑◡・̑๑)
今年その村上ショージさんが芸歴40周年を迎えられました。

語録がなかなか肩の力が抜けててエエ感じなんですよ。
こんなほのぼのとしたスタンス、疲弊した今こそ必要ちゃうかな。

「そんなにいっつも、ウケるもんちゃうからね」
「『昨日コロッケ食べたからかな』ってぼやくと、おかしいでしょ。そういう一言をその場で考え出すのが楽しい」
「僕だけの<畑>で、他の人と違うものを育てて来た。笑いをガンガン詰め込むスタイルじゃなく、最後に『ぷー!』って噴き出すような芸が出来たらベストかな」
「人生で色々なことにつまづいても、笑いに救われることってたくさんあるでしょ。一番ステキな仕事や」

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笑いを極めることに対する情熱的な発言が一つもないし〜。ε-(´∀`; )
スベること前提の発言になってるぞーい。(⌒-⌒; )

あと、
人生で色々なことにつまづいても笑いに救われるって、いいなぁ。
ひとしきり反省したら、そんな風につまづきにくよくよせず、
笑い飛ばしてやり過ごして行きたいものですね。

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by hinomarufighter | 2016-12-05 06:42 | 人生の教え | Trackback | Comments(0)