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クリスマスプレゼント作戦

復職研修時に、研修前にスタバでコーヒーを飲んでリラックスする術を学び、
復職後も出勤前に、
乗換駅のスタバでコーヒーを飲んでリラックスするのが習慣になっています。
(帰りは乗換駅の立ち飲みでビールを飲むのも習慣になってますが...笑)

そのスタバのレジのおねいさんの笑顔が飛び切り良くってね。
注文を聞くとき、おつりを渡すとき、コーヒーを出すとき、
どのときもお客様の顔を見ながら笑顔です。
あの笑顔は自然体で出てるんだと思いますが、
お人柄まで容易に想像出来るようで。

そんな彼女からある日、
ジャケットのラベルホールに付けた、
「花のピンバッジがかわいいですね」と褒められました。

その次の日は違うスーツで、ピンバッジを付けていなかったら、
「今日はお花がないのですかぁ」と声をかけていただいて。

それ以降、お互い笑顔でおはようございますと挨拶し合う仲になりました。

彼女の笑顔に会うたびに、
心がホッコリ、とても心が和みます。
ささやかな幸せとゆーやつですかね。
彼女には感謝しなくちゃ。

あ、昨日朝も、
「最近毎日来て下さいますね」
「はい、ここで毎朝癒されてます」
みたいな会話を交わしましたん(*^_^*)
キャアキャア!

お礼に、クリスマスには少し早いかも知れませんが、
19日頃にお店を訪れたときに、
3000円程度の手袋をプレゼントしようと企んでいます。

下記の文面のメッセージカードを添えて。(*^_^*)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いつも素敵な笑顔をありがとうございます。
せちがない毎日ですが、
出勤前にあなたの笑顔に会うといつも心が和みます。

こんなお客がいることも知ってもらって、
これからも、その笑顔で沢山のお客様を幸せな気持ちにしてあげて下さいね。
どうぞこれからも頑張って下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
彼女が少しでも和んでくれたら嬉しいです。
テヘッ!
当日の様子はまたここで報告します。
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by hinomarufighter | 2014-11-29 06:59 | 交友録 | Trackback | Comments(0)

慰労会のお誘い

2014/11/15 10:58
subject:おはようございます☀️

懲りずに昨日朝、ラインで下記送信しましたが、
またまた読んで貰ってまてん。ヽ(;▽;)ノ

なのでまたまたメールしました〜(笑)

〇ちゃん、おはようございます。△△です。
お休みなのにあいにくの雨ですね。(crying chick)

僕は二週間の試し出社期間を経て、
人事から正式に本日付で復職許可が下りました。(laughing)
まだ日々倦怠感を感じますが、
仕事はほどほどを留意して頑張ってみます。

お互いの慰労を兼ねて、時間取れそうなら、どこかの月火水の夜辺りでサクッと飲みませんか?

ご検討いただければ幸いです(please!)


2014/11/26 07:56
subject:おはようございます😄

復職 おめでとうございます😄⤴
慰労会、やりましょう!
最近 仕事で残業が多くなってきたので、年末年始がありがたいです😅
12/30~1/6で△△さんのご都合良い日、ありますか?


2014/11/26 08:13
subject:オハヨー

ハードワーク、毎日御苦労さまです。
了解しました。
都合の良い日をまた連絡します。

今日もスマイルで頑張りましょ( ̄+ー ̄)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

四か月の休職明けのフルタイム勤務はさすがにシンドかったっす。
慰労を兼ねてのお酒のお誘いの返信が返ってきました。

業務多忙らしく、日にちはひと月先の年末年始希望とのことです。
前回ゴハンを食べた時から二ヶ月後ってことになります。

これって、どうなんでしょう?
ウーン....。ウザられてますかねー?(笑)

彼女のプライベート最優先で負担にならぬように、
当面は、
二ヶ月に一度、或いは三ヶ月に一度位の間隔でメールした方が良いでしょうなぁ。
会える機会があるだけでも、十分すぎるほど幸せです。

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by hinomarufighter | 2014-11-28 06:43 | 交友録 | Trackback | Comments(0)

メンタルヘルス科受診



昨日はメンタルヘルス科の受診で会社はお休み。

主治医から言われたことは二つ。

一つ目は、
復職後は皆、頑張り過ぎる傾向があるとのこと。
頑張ってるときは疲れを感じず、後でダメージがドンと来るらしい。
ふた月くらいはやはり、飛ばさず慣らしモードを心掛けること。

二つ目は、
一度休職した人は、今までのように踏ん張りどころを根性だけで乗り切れず、踏ん張れずにコケてしまい易いらしい。
とことん頑張るスタンスは止めて、いつもほどほどを心掛けないと。

産業医も主治医も仰ることは良く似てる。

慣らし出勤と割り切って、ボチボチモードを徹底しまつ。

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by hinomarufighter | 2014-11-27 06:42 | うつ病 | Trackback | Comments(0)

我が家の箱入り娘

結局....、
昨日も仕事ごっつ頑張ってしまいましたわ。
あきませんなぁ。ε-(´∀`; )
今週中に終える予定の業務が昨日で終了。
どやさ。
今日はメンタルヘルス科受診年休。
明日からはもっともっと、ゆーくり行かんとね。

おっかさんが介護施設に六泊して帰ってきました。
彼女なりに施設くらしは色々大変やろうに、
六泊してもろたおかげで、僕も21時に寝たり出来、
かなり心身共にラクさせていただいています。

今回泊まった施設はスタッフが少ないように思え、
以前母が、気管に食物を詰まらせてしまう誤焔性肺炎になって、
施設から病院直行になりーの、
椅子から立ち上がってコケて、腰骨骨折して、
帰宅後病院直行になりーの、の災難もありまして…。

ただ、
毎回長期間預かっていただける、
ありがたい施設でもあるので、
こちらとしても贅沢はいえません。

その施設からの帰宅後は、
暫く日帰りデイサービスに預け、
家で宿泊している間にケアしてあげて、
元気になってまた宿泊施設に送り出す、
そんなスタンスです。
昨夜は迎えに行くと元気だったんで、
母もだんだん逞しくなって来たんでしょうかねぇ;^_^A

母は、今では我が家の「箱入り娘」になっていて、
スンゴイ過保護に育てられています。(笑)

母の皺だらけの横顔や寝顔を見ていると、
愛おしく感じます。

こんなことを繰り返しながら、
出来るだけ長生きして欲しいです。


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by hinomarufighter | 2014-11-26 12:56 | 認知症母の介護 | Trackback | Comments(0)

火曜日から正式復職

金曜朝イチ、
会社の産業医、人事責任者、上司、私の四人で復職四者会議がありました。
結論は、めでたく25日より正式復職となりました。
ヤッター!

会議でアドバイスされたことは、
・介護は頑張り過ぎないこと。現状に対してどう改善すべきか考える。
・業務は焦らず、飛ばさず。週五日間を平準的ペースで取り組む。
 週末まで心身が疲れることなく過ごすこと。
・向こう三ヶ月は慣らし勤務で、70-80%のパワーで続ける自己管理の徹底。
・マイペースを維持し、他者に業務を任せることも考える。
・休まず出勤し続けましょう
でした。

あいあい、逸る気持ちを抑えて、
極力ゆっくりペースを意識して業務をこなします。

上司は僕は既にフルパワーに戻っているとの認識だったようですが、
産業医より三ヶ月は慣らし勤務と認識する旨の発言があったようで、
ありがたかったです。

フレックス勤務は一旦中断で向こう三ヶ月は9-17時半の定時勤務となりました。

先週もとても疲れました。
なので日曜日は終日寝ておりました....。
月曜日はその甲斐あってか、疲れもなく、スッキリ気分です。

来週からは週末に疲れを溜めぬよう、
休日は楽しく過ごせるよう、業務はもっともっとゆっくりペースにトライしてみます。


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by hinomarufighter | 2014-11-25 06:44 | うつ病 | Trackback | Comments(0)

高倉健さんの伝説2

伝説1からの続きです。


健さん、いちいちやることが粋でカッコイイです。

しかも、いつも愛情や思いやりに溢れていて。

飾らない素朴さもいいです。

僕の中では永遠に唯一無二、

圧倒的に他を凌駕する、ナンバーワンの憧れの師匠です。



気持ちの通じ合った共演者に高倉はブライトリング、ロレックス、ヴァシュロン・コンスタンタンなどの高級腕時計に、「高倉健」の名前を彫ったモノをプレゼントする習慣があり、

千葉真一・田中邦衛・渡瀬恒彦・板東英二などが貰っている。

田中も高倉をこよなく尊敬し、今も出かける際には、その時計を身に付けている。


『ブラックレイン』で共演した松田優作にもロレックス「GMTマスター」を渡すつもりだったが、松田の病状を知らず、旅先で訃報を聞き、

帰国後に松田邸まで出向き、夫人の松田美由紀に手渡した。



高倉健さんが撮影を終えて帰国したあと、

撮影場所だった雲南省麗江が水害に見舞われた際、

高倉健さんは、どこからその情報を聞きつけて、

村に、たくさんのプレゼントを送ったそうです。

そのプレゼント中に、とくに、向日葵の種が入っていたことに、村長が深く感動したとのこと。



高倉さんがJRA(日本中央競馬会)のテレビCMに出た時のことだ。

牧場を舞台にしたドラマ風CMの撮影に、

北海道の小さな町の人たちが協力してくれた。
ある日、町に電話が入る。

お世話になったお礼に「町の行事に参加したい。ただし、内証にしてください」
当日、会場に現れた高倉さんは、

連れてきた宇崎竜童さん(だったと思う)のギターで何曲か歌った、

と後日報じた記事には、町の人たちを感激させたとも書かれていた。



夢と希望と笑いと涙の郵便物が届いた。

開けてみると木の箱に入った上品なお線香の束と、

丁寧だが簡潔な手紙が入っていた。

高倉健さんからだった。
母によると父と高倉さんは決して親しい間柄ではなかったそうだ。

映画で御一緒したこともないはずだという。

想像するに、撮影所などで顔を合わせた際に挨拶を交わす程度のおつき合いだったに違いない。
そんな間柄を思い気遣ってくださったのだろう。

通夜告別式の席に花を送るではなく、弔電を打つでもなく、

葬儀が終わりほっとして家族にやっと哀しみが訪れる時を考えて、それも相手が決して不要とは思わないお線香を送ってくださる──、

 
何という優しさ、人への思いやりだろうと思った。

多くの人に愛されるスタアとは、本当に素晴らしい役者さんとはこういう人のことだと思った。

母と僕は頂いたお線香に火をつけ、父の遺影に静かに手を合わせた。



20年ほど前、柳さんのディナーショーの開演前に突然楽屋を訪れ、

「以前から聴いていました」とシャンパンを差し入れたエピソードは有名。

健さんの突然の訪問に驚き、言葉が出なかった柳さん。



石倉三郎:高倉健さんに「俳優になりたいのか?」

みたいな声をかけてもらい東映エキストラをやらせてもらうも、

元々喧嘩っぱやぃ彼は撮影現場で暴れ喧嘩し、

それから仕事のない生活をするも、

ある日寝てたら電話が鳴り、

「高倉ですが…」との声に、まさか高倉健さんからだと思わずに、高倉健さんに対し「何言ってんだ、バカヤロー!」と電話口で怒鳴りつける。

本人だと分かり…慌てて「今から行く…」という高倉健さんに、慌てて布団をたたみ、待ってると、

雨の中…ジープでアパートに健さんが現れ、「今日、誕生日だろ?」と、着てた革ジャンを彼に渡し…そのまま健さんは立ち去った。



ある後輩に、お祝いに何が欲しいか聞いたところ、

カッターシャツが、欲しいとのこと。
米国・ロサンゼルスの、ブルックス・ブラザーズに、本人が行き、

そこで購入して、日本に戻りプレゼントした。



主演映画「あなたへ」のロケ地として協力を受けた富山県・富山刑務所を表敬訪問した。

今作で演じた倉島英二は刑務所の指導技官という役どころで、昨年9月に5日間にわたり撮影を行った。

高倉の感謝の気持ちを伝えたいという思いから、再訪が実現。

同刑務所内の講堂で受刑者約350人と対じし

「1日も早く、あなたにとって大切な人のところへ帰ってあげてください。心から祈っています」

と語りかけると、受刑者たちから盛大な拍手が沸き起こった。



映画『居酒屋兆冶』で共演した女優の大原麗子さんが09年に急死した際も、葬儀には遺族に迷惑がかかると出席しなかった。
その後、同年10月に健さん一人で、大原さんのお墓をお参りしていたことが、大原さんの遺族の話で明らかになった。



1959年(昭和34年)に江利チエミと結婚したが、

1971年(昭和46年)に離婚。その後は独身を通している。

江利の命日である2月13日には、毎年早朝にひっそり一人で墓前を訪れ、花を手向けている。

離婚の原因も不仲ではなく、江利の異父姉によるふたりへの誹謗中傷と夫婦の財産横領が原因といわれている。

健さんに迷惑がかかると、江利から健さんに離婚をお願いしたとのこと。



知り合いの整備士から聞いた話。
彼は暫く太秦映画村近くのガソリンスタンドでアルバイトしていた。

場所柄、ときどき俳優がやって来る。

といっても一人で来るのはまれで、殆んどは取り巻き連中に囲まれてやってる。

そんなだから直接話をする事はないし、話す事があったとしても、役ではいい人を演じてるのに「なんやこいつは」と思う俳優が結構いるらしい。

そんな中で「さすがだな」と思った人の話。
ある日の事「すみません洗車させて下さい」と高倉健が一人でジープに乗ってやって来た。

スタンドの事務所の中では「高倉健だ、高倉健だ」と大騒ぎをしているのに、当の本人はそんな事にお構いなく黙々と洗車をしだした。

少し寒い日だったので気の毒に思った知人が「手伝いましょうか?」と言うと、スクリーンの中のあの姿勢と話し方で「いえ結構です、一人でやります。」

といって、また黙々と洗車をしだしたという。
スクリーンの中の健さんは、私生活でも高倉健であった。



安倍晋三首相は21日、永田町の自民党本部でスポニチのインタビューに応じた。

10日に亡くなった俳優高倉健さん(享年83)に対し、

国民栄誉賞を望む声が上がっていることについて

「今は何を言っても選挙に利用していると言われる。(選挙に)健さんを巻き込むのは失礼」と述べた。

健さんとは昨年11月の文化勲章親授式で対面。

「安倍さん、健康に気を付けて、体を大事にしてくださいね」と声を掛けられたという。

「そこにいるだけで存在感がある方。

年齢を重ね、円熟味を増した演技をもっともっと見たかった」と悼んだ。

過去に“KY”と言われた経験からか、

「自分、不器用ですから」の明言を残した健さんに自身を重ねたこともある。

「ガマンにガマンを重ね、最後にドスを抜いて正義の鉄槌(てっつい)を食らわす。多くの人が日頃のうっぷんを解消したのだと思う。私もその1人」と明かした。



テリーさんは、健さんが映画に出ずにテレビCMにしか出ない時に、

『CMもいいけど、映画にも出てくれませんか』と面識がないけど、書かせていただいた」と明かし、

後日、本人から「記事読みました。ありがとう。映画に出られるように頑張ります」と手紙をいただいたというエピソードを紹介した。

また、高倉さんに4回会ったというテリーは、

書店で偶然再開した際に「クルマ談義をしましたよ」とうれしそうに明かし、

「二度とあのようなスターは現れない。僕らは足元にも及ばないけど、目標にしたい」と力を込めた。




「一生懸命頑張って、時々お会いしてほめてもらえる。もうそんな機会がないのかと思うと寂しい」。

そう漏らした武田の映画デビュー作で、

健さんの代表作の一つとなったのが映画「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)だった。

「ボクみたいなやつに演じることの無垢さ、純真さを教えてくださった。生涯の宝です」

この映画のロケは北海道で1か月間、泊まり込みで行われた。

その間、食事に連れていってくれ、気遣いをしてくれたという。

「ボクは台本の読み方も分からない素人だった」と振り返る武田にある夜、

健さんが「お前、分かるか」と映画のテーマについて話し始めたという。

「分からない」と答える武田に、健さんは「『おかえりなさい』なんだ。

この言葉がどれほど人間にとって幸せなことなのか。

山田監督はこれが言いたいんだ」。

当時、20代の武田は「そんなもんですかね」と理解はできなかったというが、「お前にもやがて分かる」と諭してくれたという。


また、ラストシーンの黄色いハンカチを見て桃井かおりと武田が号泣するシーンも振り返った。

「あの時は、監督がどうしても真っ青の青空で撮るんだと5日間も待たされた」。

待たされ続け、黄色いハンカチを見ても感動も何もなくなってしまい、涙が流せないと焦っていた。

そのとき「健さんが急に振り返って『1か月間、ロケつらかったろ。東京帰っても元気で暮らすんだぞ』って言ってくれてね。

この人と別れるのかと思うと映画と関係なく泣けてきてね」。

そのタイミングで撮影がスタート。

感動の名シーンにつながったという。

「あの別れのあいさつというか、健さんの演出がなかったらあのときの演技はなかった。忘れません」と頭を下げた。

そんな武田も健さんに怒られたことがあるという。

「ぼくが健さんのことをあっちこっちでしゃべっていたことがあって。

お会いしたときに『ベラベラしゃべるんじゃない』って怒られましてね。

でも、好きな人のことはしゃべりたいじゃないですか」と涙を浮かべながら語った。


10日に亡くなって、18日まで公表しなか

った。

このことにも「高倉健という美意識と志が、弱さを一切見せず、美しく鮮やかな残像を残していかれたのが健さんらしい。背中しか見送れませんでしたが、後ろ姿に深く深く一礼をささげたい」と話した。



「幸せの黄色いハンカチ」の山田洋次監督(83)は18日、悲報を受け都内のスタジオで会見。

「次の作品を準備している、という話を聞いていたので、ああ、元気にしているんだな」と思っていました。

健さんが元気でいてくれることが、

どれだけ僕の励みになっていたことか」と、同い年の名優の死を悼んだ。

「幸福の黄色いハンカチ」の主演をオファーした時が初対面。

「健さんが、赤坂の僕が仕事をしている宿に来てくれて、“私はいつ体を空ければいいんですか”と即答してくださいました。

そして、“僕は、とても今日は、うれしいですよ”と言って、スーッと足早に出ていかれた。それを見て、ああ、良かったと思った日を忘れることができません。

極めて繊細で、人の気持ちをよく分かる、本当に行き届いた方でした」と思い出を語った。



共同通信コラム

任侠(にんきょう)映画からスペクタクル大作、人情ドラマまで、

戦後の映画史に強烈な足跡を残し、10日に83歳で死去した高倉健さん。

武骨だが、不器用で情に厚い「男の中の男」を演じ続け、

“健さん”と親しみを込めて呼ばれた銀幕の大スターの訃報に、知人たちからは悼む声が相次いだ。
長年の盟友で、遺作となった2012年の映画「あなたへ」を撮った降旗康男監督は、

「残念の一言です。来春の撮影を楽しみにしていましたが、できなくなってしまいました。無念です」

との短いコメントを出し、悲しみの深さを感じさせた。
孤高のスターのイメージが強い高倉さんだが、撮影現場では気配りを欠かさなかった。

「鉄道員(ぽっぽや)」で共演した広末涼子さんは、

「聞かせてもらった音楽、入れてもらったコーヒー、かけていただいた優しい言葉たち、力強く抱き締めてもらった思い出、全部忘れません」。

妻役で共演した大竹しのぶさんは、

「豊かで素晴らしいことをたくさん教えていただきました。美しく、気高く、何よりも優しい健さんを一生忘れません」と悼んだ。




高倉プロモーションは、「映画俳優高倉健は、次回作準備中、体調不良により入院、治療を続けておりましたが、

容体急変にて10日午前3時49分、都内の病院にて旅立ちました。

生ききった安らかな笑顔でございました」

と亡くなるまでの状況を説明した。


病名は悪性リンパ腫。

ファクスには

「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

との高倉さんの言葉も添えられていた。

遺体が病院を出る時には治療に携わった病院スタッフがそろい、涙とともに見送ったという。

高倉さんの遺志に従い、すでに近親者のみで密葬を行ったという。


 高倉さんは12年に前作「単騎、千里を走る。」から6年ぶり、

205本目の主演映画となる「あなたへ」を公開。

同年の「日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞」で主演男優賞を受賞した。

06年に文化功労者、13年には文化勲章を受章し、皇居での親授式にも出席した。

その際に

「日本に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います。」

とコメントした。

高倉さんは55年に東映に入社。

「網走番外地」「昭和残侠伝」シリーズなどで唐獅子牡丹(ぼたん)の入れ墨を背負った姿に健さんの「男の美学」に多くの男性ファンが熱狂して支持した。

「死んでもらいます」の決めぜりふは全共闘世代の共感を呼んだ。

その後も一貫して演じたのは苦難に静かに耐え、

女性へのひた向きな愛を体現した主人公で、「幸福の黄色いハンカチ」「駅 STATION」でファン層も広がった。

当時の興行記録を塗り替えた「南極物語」、モントリオール世界映画祭で主演男優賞を受賞した「鉄道員(ぽっぽや)」、「ホタル」、遺作となった「あなたへ」まで、「耐えて」「しのぶ」ストイックな男性像を最後まで演じ続けた。

ハリウッドの大作「ブラック・レイン」にも出演した。

映画では「健さん」として親しまれたが、そのプライベートは常にベールに包まれていた。

映画で演じた役の男の生き様で多くのファンに愛された、最後の銀幕のスターだった。



産経新聞コラム

「器用なたちではないですから」。

10日に死去していたことが明らかになった俳優、高倉健さん。

その魅力は、自らを評して口ぐせにしていた言葉に集約されている。

余計なことは一切しゃべらないが、いざというときは最も頼りになる人物。

日本人が理想の一つとしていた生き方をスクリーン内外で貫いた高倉さんの死を、全国の人々が悼んだ。


デビュー後しばらくは、現代劇への出演が多かった。

精彩を放ったのは任侠(にんきょう)路線。日本刀を構え唐獅子牡丹の入れ墨を背負った姿は、

行為の善悪は別として観客に憧れを抱かせ、「健さん」の“男の美学”は熱狂的に受け入れられた。

様式美を重んじた任侠映画が「仁義なき戦い」のような実録路線に取って代わられた後も、高倉さん自身は変わらなかった。

その姿勢が再び支持されたのは、女性へのひた向きな愛を体現した「幸福の黄色いハンカチ」に負うところが大きい。

以後、刑事、越冬隊員、居酒屋の主人、駅長など現実的な役柄の中で、ストイックで温かく、大きな男であり続けた。

映画「ブラック・レイン」で共演した俳優、神山繁さん(85)は、

撮影現場での高倉さんを「無駄口をたたかず、仕事に入ると役に集中し話しかけられないような雰囲気がありました」と評する。

だが、仏頂面のまま冗談を飛ばすなど周囲を和ませ、

「共演のアンディ・ガルシアさんも『健さん、健さん』となついていました」と語る。

昨年の文化勲章受章に際して発表したコメントでは、

「辛抱ばい」という母からの言葉を胸に映画人生を歩んできたことを披露した。

「今後も、この国に生まれてよかったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います」。

高倉さんは生涯を通して「理想の男」であり続けた。



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by hinomarufighter | 2014-11-25 06:07 | 日記 | Trackback | Comments(0)

高倉健さんの伝説1

日本映画界でトップに君臨するスターでありながら、プライベートは人間味溢れるエピソードが一杯。
人徳がある立派な健さんらしい、温かくもほっこりする話の数々です。

皆さんと共有したくて、ここで紹介します。


『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、
刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、
女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、
ラーメンとカツ丼を食べるシーンがある。
その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次監督からOKが出た。
あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。
真冬の福井へロケに行った際、高倉は休みの日だったが、ロケ現場へ激励に現れた。
厳冬下であったので、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、高倉は焚火にあたろうとしない。
スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めたところ、
高倉は「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えた。
このため、スタッフだけでなく、共演者も誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったと発言している。
やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、
「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたることができた


ブラック・レイン」(89年、リドリー・スコット監督)
に出た故・松田優作の言葉
「優作が『高倉健さんって、ありがたいよね』としみじみ言うんですよ。『健さんが道をつけてくれたから、日本人の俳優というだけで尊敬される』って。

マイケル・ダグラスは大阪京橋の野外シーンロケで、
日本人のファンが高倉に憧れて接する姿を目撃した。
その様子をダグラスは「アメリカではブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。
あんなに尊敬される姿を見られるのは!」と驚いていた


高倉のファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は、『単騎、千里を走る。』の撮影の際、
高倉が休憩の時に椅子に一切座らず、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたことや、
現地採用の中国人エキストラ俳優にまで丁寧に挨拶していたのを見て、「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言している。


『夜叉』の撮影初日が終わり、
役者・スタッフの泊まる旅館へ到着し、食堂へ行くと、
高倉と監督の前だけ、皆とは違った豪華な料理が並んでいた。
これを見た高倉は「自分も皆さんと同じ料理にしてください」と遠慮していた。


「第1回の『八甲田山』の時は東映を出たばかりでした。
賞に縁のなかった自分が、それから立て続けに賞をいただいた。
褒めてもらって、しかもギャラがどんどん上がる。
何か違うんじゃないかと思ってね」
 ――でもギャラも大事。
「もちろんです(笑い)。でも、時々ね、ギャラより大事なものが出てくる。痛切に感じたのが中国で撮った前作『単騎、千里を走る。』でした。
撮影が終わった時に、百何十人のスタッフがみんな泣くんです。
僕に抱きついて泣くんです。


武田さんにとっては初めての映画出演でしたが、
今年4月にあった「幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター」の公開記念試写会にて撮影当時を振り返り、
「僕は素人俳優だから、監督にいつも怒られていましてね。
健さんが『お前、大変だったな』となぐさめてくれるんですよ。
それで『オレばっかりいじめるんですよ』と愚痴をこぼしたら、
『伸びないやつはしごかねえよ』と言ってくれて……。
宿まで泣きながら帰りましたよ」。
と話した。

武田鉄矢が話していた、
映画のデビュー作・幸福の黄色いハンカチのエピソード。
ラストの黄色いハンカチがたくさん干しているシーンで、
鉄矢は泣く芝居をしないといけなかったけど、
そのシーンに一週間撮影をかけていて、
毎日ハンカチを見ているうちにハンカチが安全第一の旗に見えて涙が全く出なくて、
泣く演技をするのに苦労したんだって。
そしたら、そのシーンが終わったら撮影も終わって1ヶ月振りに東京に帰ることになっているのだけど、
「よーい」ってカチンコが上がった瞬間、健さんが小さい声で、
「長い間世話になったな。東京に帰っても体元気づけて、しっかり生活するんだぞ。楽しかったぜ。」って言ってくれ、鉄矢大号泣。
涙ぼろぼろ、おいおい泣いたって。健さん…なんて温かい人なの。

俳優・高倉健(80)が6年ぶりに主演する映画「あなたへ」(来秋公開)の撮影が4日、岐阜県高山市で行われ、高倉は27年ぶりの共演となるビートたけし(64)と息の合ったところを披露した。

2人は合間を縫って取材に応じ、たけしがJR高山駅に2日深夜に着いた時、
高倉が1人で駅まで出迎えたことが明かされると、
たけしは「顔を伏せた人が近づいてきて、地元のヤクザかと思ったら健さんでした」などとサプライズ歓迎を受けたことを爆笑エピソードを交えて明らかにした。



『居酒屋兆治』。ロケは函館の市場のシーンから始まった。
ドキドキしながら前日の夜、函館のホテルに入ると、部屋に健さんからの花が届いていた。何か健さんの声が聞こえるようで、しみじみうれしかったことを今も覚えている。


志村さんが映画撮影のために北海道へ行く前日、
高倉さんは関係者から志村さんの携帯番号を聞き出し、メッセージを入れたようです。
『高倉です。明日よろしくお願いします。寒いですので気をつけて下さい』
志村さんは本人からの録音を聞いて感激したようです。


録音師の証言
撮影開始前、高倉健さんに、
「シーンによっては、体に小型マイクをつけることがあります。」と説明をしに行ったら、
「問題ないですよ」と言って、自分の服を広げて見せてくれたら、
なんと、すでに、8つのマイク用ポケットが縫い付けてあって、それも、どれも音がしっかり拾えるような角度で付けてあって、驚きすぎて倒れそうになりました。
「これこそ、本当のスターだ、プロだ」と思いました。


中国側の多くの配役に素人の民間人を起用し、
しかも本名を役名に使うという手法は新鮮に映った。
高倉(彼の役名は高田)のガイドを務める役者の本業はやはり観光ガイド。
あるシーンでは、緊張したガイドの十数回に及ぶNGにも黙って対応し、最後は頬をさすったり肩を揉んだりしてリラックスさせそのシーンを撮り終えた。


撮影時に自宅を休憩所代わりに貸していた木山キミさん(88)は、
「(当時)健さんがしているマフラーを私の首に巻いてくれて。『よろしいんですか?』と聞いたら、『いいんです。風邪をひかないでください』って言ってくれて…」と瞳を潤ませながら振り返った。


主演映画「あなたへ」のロケ地となった長崎・平戸市でのエピソード。
撮影中に“茶飲み友達”となった88歳のおばあちゃんを中央に迎えて写真撮影。


高倉健さんがタバコのLarkのCMをやってた時のことだ。
以前はヘビースモーカーだった健さんだったが、当時は一切吸っておらず、あくまで仕事として割り切って受けたのだ。
にも関わらず、健さんはCM期間中いつもワイシャツの胸ポケットにLarkを入れ、薄らと見えるようにしていた。


藤純子の、実父、俊藤浩滋 シュンドウ コウジ は、東映やくざ映画の、大プロデューサー。
鶴田浩二や、若山富三郎を、育て、もちろん健さんも、彼に育ててもらった大恩人。
しかし、やくざ映画の斜陽と共に、誤解が生じ、疎遠となってしまう。
以下、俊藤の著作より、
“ そんなことを思うていたら、突然、年末に彼が私の家にやってきた。 
「 ご無沙汰しています。」
健ちゃんは玄関に突っ立って、そう言うたきりボロボロ涙を流して、言葉が出ない。
「 まあ、上がれよ。」と言うと、
「 いやあ……」と、ただ涙ながらに立っている。
「 今日は何も言えませんから、またあらためて来ます。」それで帰ってしまった。 ”


岡村とは第23回日本アカデミー賞で同席し、
長年のファンであることを伝えた。
岡村は「将来は高倉健さんのような俳優になりたい」というスピーチで会場に笑いが巻き起こる中、
高倉は立ち上がって拍手を送った。
岡村が病気で療養中の際にも電話や手紙で励ました。


小林稔侍さんから聞いたとの事で秋元康氏が紹介。
健さんがヤクザ映画で売れている頃稔侍さんは駆け出しで健さんの脇役。
稔侍さんの引越しが決まった時に健さんが祝儀(当時のお金で200万円~300万円)を渡そうとしたら(流石に高額すぎたのか?)
稔侍さんは固辞したそうです。
そしたら引越しの当日健さんは作業着を着て引越しの手伝いに現れたという話


千葉真一は高倉を “ 一生あこがれの存在で永遠の師匠 ” と公言している。
「(千葉が)デビューして間もない頃、
健さんが食事によく連れて行ってくれたり、取材向きの洋服がない時に健さんからスーツをもらった」
「役者として少し売れてきた後でも(千葉自身の)撮影がない時には、健さんの付き人をしていた」
「(千葉が)離婚した時に健さんから手紙で励まされ、それが心の支えになった」
「(千葉が)東映の労働組合委員長と撮影進行で衝突して、映画界を辞めようと思った時に、健さんが思いとどまらせ、一緒に謝ってくれた」など、
「健さんは厳しい人だけど、ちゃんと愛がある。そばにいて、俳優としても人間としても、大切なことをいっぱい教わった」と語っている。


若山が下戸であることを知らない高倉健が、
日頃のお礼の意味で撮影前の若山に日本酒を一瓶贈った。
若山は困りながらも高倉の思いに応えようと、快く受け取ってそのまま高倉の眼前でラッパ飲みして見せた。
当然若山はそのままぶっ倒れ、当日の撮影は中止。
高倉健はひたすら平身低頭していたという。

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by hinomarufighter | 2014-11-24 06:28 | 日記 | Trackback | Comments(0)

健さんの背中

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僕は居酒屋での最初の一杯は瓶ビール。
「アサヒにされますか?キリンにされますか?」と聞かれると、
迷わず「キリンクラシックラガーを」と応えます。

それは何故か?
クラシックラガーの味覚云々の前に、
健さんがクラシックラガーのCMに出てらっしゃったから。
それだけです^_^

日本映画界最高の銀幕のスター、高倉健さんが10日、83年の生涯を閉じました。

損ばかりの不器用な人生を歩む人達にとって、
健さんは辛い時の道しるべであり、現代に生きる「侍」の体現者でした。


以下は毎日新聞の記事からの抜粋です。

晩年まで、私生活をほとんど公にすることはなく、
役柄のイメージの高倉健を観客の心に残したまま旅立った。
「健さん」として親しまれてきたのは、役の中での男の生きざまであり、
健さん自身の生き方も重なって多くのファンが魅了された。

健さんが人気を不動にしたのは任俠(にんきょう)映画。
着流しのアウトローが逆境に耐えながらも、
復讐(ふくしゅう)を果たす物語に観客は熱狂した。
多くを語らず、いざという時に体を張って、
義理や人情を大事にする姿は、男っぽさの神髄と受け入れられた。

健さんはそれから、
人間ドラマやアクション、大作へと出演映画のフィールドを広げた。
ただ、
過酷で暗い過去をひきずり、
大きな重荷を背負って生きる役はその後もずっと続いた。

武骨で口数は少ないが、人の情を大事にする素朴な男。
「幸福の黄色いハンカチ」はその頂点の作品といっていい。
愚直なまでのきまじめさ、人生を常に遠回りしてしまい、
必死に生きていても損な役回りになってしまう男の姿に、
観客は共感と人生のつらさ、悲しみを感じた。

 最新作「あなたへ」(2012年)がコンビを組んで20作目となり、
健さんが最も信頼を寄せる降旗康男監督は同作で
「健さんも年を取り、過去の重荷から解放してあげたかった」と話した。
さらに、
「普通の俳優は努力して人物のキャラクターに入っていくが、
健さんはキャラクターを自分の中に入れてしまう。
だから、相手とふれあうことでしか芝居が出てこない」。
自身を「不器用」と言うのは「それを自認しているからだ」と説明した。

礼儀正しく、人情に厚く、物事の筋を通す性格はずっと変わらない。
撮影現場では、若い新人俳優などにも丁寧にお辞儀してあいさつ。
緊張感をほぐすために、共演者に気を使うことでも有名だ。


どんなフィールドで生きようと、
健さんは皆がその背中を追う、伝統的な日本人のお手ほんです。
現代に具現化した侍だと思います。

義理と人情を大切にして、フェアに生きる。
謙虚で周りの人達にどこまでも慈悲深い。

健さんの背中は僕にはまだまだ遥か遠くだけど、
そんな健さんの背中をこれからも常々追いかけながら、
実践し続けて行きたいと思います。

合掌


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by hinomarufighter | 2014-11-23 06:07 | 日記 | Trackback | Comments(0)

フェロモン出しまくりちよこさんからのメール

この方も以前にここで紹介しました、
道ですれ違ったメンズの目がロックオンするほど、
フェロモン出しまくりちよこさん。
エキゾチックでセクスィな外見とは裏腹に、
中身は愛情深く、辛抱強い頑張り屋さん。

そんなおねいさんからメールをいただきましてね。
こんなハゲのオッサンに温かい心配りをしてくれはるやなんて、
ありがたいことですなぁ。

彼氏いたはるし、2人で会うのも厚かましい話なので、
共通の友達を交えて、忘年会の提案をしてみました^_^

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++さん~お元気ですか?
日記読ませて頂いております(笑)
あたしは風邪を引いたと思っていたら
アレルギーでした(*´-`)
2週間咳が止まりません…(T_T)
寒くなってきましたので、**さんも
お身体ご自愛下さいね♪



2014/11/18 12:53

お疲れさまです。

++ちゃん、メールありがとー。
**です。
僕はなんとかやれてますよん。

アレルギー、大丈夫ですか?
咳が二週間も続くのは心配ですね。
日にち薬で治るといいのですが...。
ぼんぼんちゃま達も頑張ってますか?

そろそろ年末ですね。
忙しい師走の時期ですが、もし手隙の時間ありましたら、
++ちゃんの都合優先で**ちゃん交えて忘年会しませんか?
ボォ~と考えといて下さいませ(*^_^*)



お疲れ様です~
お返事早速有難うございますm(__)m

最近**ちゃんともご無沙汰してるので
連絡してみまーす♪

また連絡しますね(σ≧▽≦)σ


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日程がうまく合って、再会を果たせたらエエねんけどな。
でも、彼女をまえにしたらキンチョーMAXになりソ (笑)

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by hinomarufighter | 2014-11-22 07:03 | 交友録 | Trackback | Comments(0)

大切に大切に

以前にここでも書いた11歳年下の妹分。
10月29日に久々に一緒にゴハンを食べたっきり、その後はお互い音信不通でした。

スマホの連絡先電話番号からLINE登録者を検索してたら、彼女にヒット!
早速彼女のLINEアドにメールしたのですが二日間返信がありませんでして。トホホ。
懲りずにスマホのメアドにメールしましたら返信が来ましたわーん。ホッ。
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2014/11/17 18:32
subject:お疲れさまです

〇ちゃん、△△です。
電話番号からアクセスして、LINEにメールしましたっ( ̄+ー ̄)
でも、読んでもらってまてん…ヽ(;▽;)ノ

仕事お疲れさまです。
先週は復職後初めての5連勤でした。
マヂ、とことん疲れ果ててしまいました…。😭
今は試し出社期間で、来週水曜まで休めまてんねん…ε-(´∀`; )

とりま水曜まで休まず出社出来たら、正式に復職許可が出ます〜。
許可が下りたら、褒美にゴハン付き合ってやって下さい🍀

〇ちゃんは仕事、あともう少しかな。
ガンバ〜〜🎌


2014/11/17 19:08
subject:Re:お疲れさまです

お疲れ様です😄
あれ?ラインして頂いてました???
△△さんからのライン、見つけられないのですが…スミマセン😅
フルタイムの勤務って、年々しんどくなりますよね💧
私も毎朝 起きるのがツラいです~💦


2014/11/17 21:06

LINEは「××」のハンドルネームだったもんで💦💦
なんだか怪しいよね〜(笑)

僕はとにかくあと2日頑張ります。
後は休みを挟みながら何とかやってみるつもりです✋

バレエやってる〇ちゃんでも、朝起き辛いですかぁ❓( ̄◇ ̄;)

無理し過ぎないよう、ユルユルに留意して行きなされよ〜(*^_^*)


2014/11/17 21:39
subject:Re:
懲りずにまたライン下さいね😄
お互い ほどほど ゆるゆる に行きましょう!!
また🍺楽しみにしています🎵


2014/11/17 21:50

ほどほ、ゆるゆる、そうやねっ👍
体調落ち着いたら、LINEで連絡しますね(*^_^*)

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僕が試し出社10連勤を無事終えて、25日に正式復職が決まれば、
御褒美に慰労を兼ねて一緒にゴハンを食べようと思います。



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君を想うとき、心が温かくなる。
上品な佇まいや女性らしい細やかな心配りが嬉しくて。
月イチペースでも、会えたらいいなぁ。

この御縁が長く続きますように。
大切に大切に。

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by hinomarufighter | 2014-11-21 07:29 | 交友録 | Trackback | Comments(0)